2014/12/06
実際に、自分の家の家系図を手にすると、実際には見たことのない過去の情景を思い起こしたり、過去にタイムスリップしたような感覚を受けたりします。
これはなぜでしょうか?
それは、ご先祖様のお名前やその方に起こった出来事などが明らかになることにより、そのご先祖様のイメージが具体化するからです。
人間には必ず、「ひいおばあちゃん」や「ひいひいおばあちゃん」が存在していますが、名前も生き様も分からなければ、ぼんやりとしたイメージでしか想像できません。
しかし、家系図を作成することによって、それらのご先祖様の生き様が明らかになり、イメージが具体化します。
結果として、自分の知らない過去の情景が想像され、過去にタイムスリップしたような感じさえ受けるわけです。
歴史に興味のある方は、ドラマや小説などで「明治初期」のシーンを何度もご覧になっていることかと思います。
明治初期、それまで鎖国をしていた日本は急速に近代化を行い、欧米からさまざまな文化を受け入れます。
近代国家としての体制を整えていく中で、対外的には日清、日露の2つの戦争を行い、また、国内的には大日本帝国憲法をつくり、国会も開設しました。
この時期、皆さんのご先祖様はどこで何をしていましたか?
例えば、我が家の家系図には、こんな記述があります。
長男 平八
明治21年1月31日
群馬県新田郡岩瀬川村○○○○○ 碓氷○○ 四女ふく と婚姻
私のご先祖様である「ふく」さんは、明治21年に私の「ひいおじいちゃん」のところに嫁いできました。
明治21年というのは、日清戦争が始まる6年前、大日本帝国憲法が発布される前年の西暦1888年です。
嫁ぎ元である「岩瀬川村」から嫁ぎ先までは10kmほど離れていますが、当時はどのように嫁入りをいたのでしょうか?
馬の背中にお嫁さんが乗って、その馬の前後に、親戚などが列を組んで嫁入りしたのでしょうか?
現代ならば「実家と嫁ぎ先が10kmの距離にある」というのは近いほうなのかもしれませんが、当時のお嫁さんはどんな気持ちで嫁いできたのでしょうか?
そして「ふく」さんは、結婚してまもなく子宝に恵まれます。
「ふく」さんの最初の子供は女の子でした。
まさに「ふく」さんにしてみれば、喜びいっぱいだったことでしょう。
しかし、その2年後、悲しい出来事が起こります。
以下は、我が家の家系図の中の記述です。
平八妻 ふく
明治24年4月22日
死去
わずか26歳の若さで、可愛い2歳の娘を残して他界しました。
「ふく」さんはどんな思いでこの世を去ったのでしょうか?
残された2歳の娘は、おかあさんが突然にいなくなってしまって、泣かなかったのでしょうか?
明治24年(1981年)、明治政府は、あわただしく近代化を行っていきます。
変わりゆく日本の風景の中で、こうして、それぞれの個人にそれぞれの歴史が存在しているのです。
ご自身のご先祖様の生き様を知ることによって、きっと、今までとは違った歴史の見え方になるのではないかと思います。
昔のことを思い出した時、あるいは歴史のテレビを見ている時に、ふと気になったら、ぜひ家系図を開いてみてください。
縁喜堂の家系図セットには「冊子家系図立て」が付属しており、普段からお部屋のインテリアとして飾り付けできるデザインとなっております。(下記画像はスタンダードパッケージのものです。)
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