2016/06/18
明治初期の戸籍を見ていると、ある方のお名前が、場合によっては漢字で、場合によってはカタカナで、場合によってはひらがなで書かれていることがあります。
それは例えば、同じ人物について、「波留」「ハル」「はる」などと書かれているということです。
現代人の感覚でこれを一言で表せば、「昔は適当だった。いい加減だった。」ということになるんでしょう。
おそらく現代の日本人の99%以上は、生まれた時に授かった自分の名(姓名の名のほう)を死ぬまで変わらずに使い続けるでしょう。
当然ながら、戸籍やその他の「公的書類」に、別の名前や別の表記法を使うことなどは考えたことさえもないでしょう。(仮にそんなことをしてみても、余計な手間がかかるだけだと常識的に判断できます。)
しかし明治以前は、「複名・改名」がごく自然に行われていました。
つまり、「人間の成長とともに名前を変えていく」ことや、「何かよくないことがあったので名前を変える」こと、あるいは、「同時に複数の名前を持つ」ことも、不自然なことではありませんでした。
明治初期、明治政府は「近代国家」としての国家の形を整えるべく。兵制や税制などの制度づくりを推し進めていきます。
こうした制度を作っていく中で、「自由に複名を持てる・改名できる」という風習があることは、非常に不都合でした。
複名・改名が自由にできるということは、個人を特定するのが大変になるということですから、まあ、当然と言えば当然のことなんでしょうが。
「氏名」についての法律は、一般的に有名な、
明治3年・平民苗字許可令
平民も苗字を「使ってもよい」と定めた法律
明治8年・平民苗字必称義務令
平民も苗字を「使わなければならない」と定めた法律
の流れがありますが、これとは別に、もっと実務的な部分の法律として、
明治4年・「明治4年戸籍法」の制定
この法律を根拠にして、明治5年式戸籍(壬申戸籍とも呼ばれる)が作成された
明治5年・複名禁止令(太政官布告149号)
明治5年・改名禁止令(太政官布告235号)
などが出されました。
この後、明治9年、明治13年など複数回に渡り、「改名の禁止」についての例外や、細かな基準などが作成されていきます。
話を元に戻して、では「ハル」さんは、実際には「波留」が正しいのか、「ハル」が正しいのか、それとも「はる」が正しいのか?ということですが、仮にその江戸末期~明治初期にいらっしゃった「本物のハルさん」に聞くことができたならば、「どの表記法が正しいとか、そんなこと考えたことさえもない」というのが本音なのかもしれません。
あるいはもしかしたら、「正式・公式な書類」に名前を書く機会そのものがほとんどなく、日常の生活の中で、愛する家族や近所の人たちから「ハルちゃん」と呼ばれていることだけで十分に用が足り、その「表記法」がどうであるとかいうことは、あまり意味をなさなかったのかもしれません。
明治初期は、幕藩体制という古い時代の考え方と、近代国家という新しい時代の考え方がこんとんと入り混じった時代です。
この時代に生きた人々は・・・戸籍に記載されている人たちだけでなく、その戸籍をつづっていた官吏自身も含めて・・・それまで自分自身の中に形作られてきた「江戸時代の価値観」と、目の前にある「新しい時代のやり方」のはざまで生きていたのではないかと思います。
家系図を作成する際には、「現代の価値観で」いろいろな作業を行っていきますが、戸籍を読み解いていく上で「現代の価値観とは違う考え方・やり方」も多々あり、それらが家系図作成に困難さをもたらします。
そしてまた、筆で1文字ずつ戸籍に文字を連ねていった人々や、井戸の周りで「ハルちゃん」と呼ばれて微笑んでいる「ハルさん」の姿を思い描きながら、それについての文章をパソコンで入力している自分の姿を対比して考えてみると、不思議さもひとしおです。
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